能登半島の被災地支援を行って思うこと
令和6年3月16日、私は石川県にいました。
昨年12月に山口県で発足したDWATのメンバーの一員として、元日に発災した能登半島地震の被災地に赴いたのです。同月21日までの5日間滞在しました。派遣先は1.5次避難所の大きなスポーツセンター。メインとサブアリーナはパーティションで区画され、そこで一般100人、要支援・要介護者70人が避難生活を送っていました。
私たち山口県DWATは、要支援・要介護者を担当し、日本医療ソーシャルワーカー協会、日本介護支援専門協会の3団体連携で、退所に伴う次の行き先をマッチングしました。
DWAT(ディーワット)とは、避難所などに派遣され、配慮が必要な方(高齢者・障がい者・乳幼児そのほか特に配慮を要する者)に対し福祉支援を行うチームのことです。
支援のプロセスの中で、様々な困難に直面しました。その1つは、1.5次避難所の退所拒否です。地元は一刻も早く日常に戻ろうとしているのですが、避難を余儀なくされた被災者の中には、高齢者で要介護度が低く、身寄りもお金もないことから残留を望むため、避難所の閉鎖を遠ざけてしまう。退所を拒絶して暴れ、警察のお世話になる人も出るような状態での任務でしたので、精神的にも疲れた私は初めてベンチに座ったまま寝てしまう経験をしました。
ただ、そうなってしまうには原因があるはずです。例えば、発災直後の過分な支援によって被災者特権意識を芽生えさせてしまう、心のケアが充分でないために立ち直りに時間をかけさせてしまうなどです。ではどうすればよいか。何もない平時こそ緊急時への準備を徹底すべきと私は考えます。
自然災害はいつ、どこで発災するかわかりません。今住んでいる地域やふるさとが突如として被災地になることも、考えておかねばならないことです。
私がDWAT(災害福祉支援チーム)の一員として石川に派遣されたのは、発災から2か月半が経過した復興期で、この時期ともなれば全国から様々な支援が集まっていました。支援物質や義援金はもちろん、行政、医療、福祉、ボランティアなど人的支援も増えます。ここで重要なのは、地元でしかできないことと、他からの支援に任せられることを、前もって振り分けておくこと。支援者はいつか去ります。いち早く力強い復興を目指すなら、地元がたくましく立ち上がることが望ましく、支援者はサポートに徹するべきと私は考えます。
地元ではどんな準備が必要でしょうか?
厚生労働省が定める介護施設・事業所におけるBCP(業務継続計画)、内閣府が掲げる地方強靭化BCPを作成することはもちろん、計画書に基づいた訓練などシミュレーションを平時に行って実情に照らし合わせ、必要な修正を随時施し、使える内容に更新していくことが重要です。このように、実際に使える準備を怠らないことが、災害に強い地域になる最初の一歩ではないでしょうか。