本日は、建国記念の日ということで、「古事記」の中の1つのお話を取り上げてみたいと思います。
商売繁盛や豊漁守護の神様として知られている恵比須様の成り立ちが古事記にこのように記されています。
伊邪那岐神(いざなぎ)と伊邪那美神(いざなみ)が天御柱(あめのみはしら)を立て、八尋殿(やひろどの)で新婚生活を始めたとき、最初に水蛭子神(ひるこのかみ)が生まれます。
しかし、水蛭子の身体には手足がなかったので、葦の船に乗せて流してしまいます(日本書紀では「三歳になっても立つことができなかったので、天磐櫲樟船(あめのいわくすふね)に乗せて風のまにまに放ち棄てた」と記されています)。
古事記には、その後水蛭子神は登場しませんが、さまざまな伝説が残されています。
その中の1つが、葦の船で流された水蛭子は、摂津国の西宮に流れ着き、その土地の人々が水蛭子を見つけ、「戎三郎(えびすさぶろう)」とお呼びして大切に育て上げ、後に戎大神(えびすおおかみ)として祀られるようになったという話です。
また、不具の子が神様であることは、世の中を豊かにすることを意味しているという説もあります。これは障害を持つことで初めて気づけるような社会の様々な問題を蛭子神が解決していくことで、民間の衆望を集めて恵比寿様として祀られるようになったという説です。
このお話は、地域全体で障害を抱える方を支えていくことで、より豊かな社会を築くことができることを伝えてくれています。
それと同時に、私たちに福祉に携わるものとして、障害(生きづらさ)を抱えた方たちの目線で、社会をとらえ様々な課題に取り組んでいくことの大切さを教えてくれています。
(話の内容には諸説あります。)